おこしはおこし米ともいい、米や粟などを熱して干した後、熱した砂糖や水飴に混ぜ、型に入れ乾燥させた干菓子のことをいいます。
現在では、一口に「おこし」と言っても、食感の違いなどで、その種類はいくつかに分類されます。その中でも、大阪の「岩おこし」、「粟おこし」や東京の「雷おこし」が有名です。
おこしの形は基本的には四角形ですが、京都では一般的に三角形のおこしが作られています。近年では、ポップにアレンジされた可愛いおこしも人気があり、SNS映えするおこしとして注目を集めています。
大きさについても、食べやすいように一口サイズになっているものが登場するなど、昔なつかしのお菓子ですが、時代に合わせて少しづつ新しいおこしも登場しています。
おこしの歴史は古く、奈良・平安時代に遣唐使によって持ち込まれた「粔籹(きょじゅ)」という唐菓子にその原型があるとされています。
さらには紀元前10世紀~紀元後3世紀中頃の弥生時代遺跡から出土した「糒(ほしいい)=米を蒸して乾燥させたもの」がおこしの起源とも考えられています。
その後、日本人の口に合うように改良が重ねられていき、江戸時代には穀物と水飴があれば庶民でも手軽に作ることができるため日本全国で作られるようになります。
大阪は江戸時代に「天下の台所」と呼ばれ、良質な米や飴が安価で手に入ったことから粟おこしの製造が盛んになりました。
それまでのおこしは原材料に粟や稗を使っていましたが、米をあえて細かく砕いて粟のような形状に延ばした「粟おこし」が生み出され、大阪の名物となっていったのです。
岩おこしについては、江戸時代に大阪で運河工事がなされた際に、たくさんの岩が出てきたのを見た大阪人が「大阪の掘り起こし、岩起こし」 という駄洒落を言ったことと、固いおこしをかけたことが、岩おこしの名の由来であると言われています。
東京の雷おこしは「雷よけのおまじない」などの謳い文句で売られていたことに由来するとされています。
おこしは「家をおこす」、「名をおこす」などと言われて、縁起のいい食べ物であったとも言われています。
弥生時代の遺跡から米を蒸して乾燥させた保存食「糒(ほしいい)」が出土。
おこしのルーツとされている
「粔籹(きょじゅ)」という唐菓子が遣唐使によって伝来。
貴族の食べ物だった
穀物と水飴があれば簡単に作れることから全国各地でおこしが作られるように。
大坂(天下の台所)で粟おこしが誕生!
庶民のお菓子として定着
日進堂ではさまざまなおこしを作っております。
例えば、粟おこしは、お米を粟粒状に炒り揃え、香ばしい胡麻を合わせ、さっくりとした歯ごたえが特徴の、砕いた米に水飴等で作ったシロップやゴマなどを混ぜて固めた伝統的な板おこしです。
名称に「粟」と付くのは粟粒ほどの大きさになるまで米を砕いていることに由来し、岩おこしと比べても米粒がやや大きく、味付けには白砂糖を使用しているのが特徴です。
堅い食感ですが口に含むとほんのり生姜風味がします。
「おいしいお菓子づくり」をめざし、それに適した素材にとことんこだわり創意工夫の中生まれた日進堂のおこしを是非ご賞味ください。